日曜学校に潜入してきた

昨日のブログでクリスチャンについて触れましたが今日改めて協会に行ってきたのでもう少し深く考えたことを書きたくなりました。

 

・実際の日曜学校の流れ

宗教といったら何を思い浮かべるでしょうか。こちらに来る前は大川隆法が降霊してるイメージしかありませんでした。実際の協会での流れを簡単に記載すると

・BibleStudyを行う

ここではBibleの文章を引用してどういった意味を込められて書かれたのか勉強します。後にもう一度牧師が集会にて教えを説くわけですが留学生には難しいので予習として特別に事前に勉強しています。

・バンドが聖歌を歌う

前にギターとドラムとベースが出てきて聖歌を演奏して一緒に歌います。様々な教会があるがコンサート会場のようにでかくて歌手と演奏者を呼んでパーティのようにやってるとこもある。そこはカトリック系で神父が協会を経営するためこのように派手になるらしい。神父と牧師の違いについては下記を参照してほしい。

牧師と神父の違い | キリスト教文化入門

・牧師の説教

牧師が教えを説く、ネイティヴ・アメリカンのための説教の上内容がかなり深い内容なので何を行っているのか全くわからない。

・お祈り

亡くなった人、危篤状態にある人、新たに協会のコミュニティに参加するものに祈りを捧げる。

これがおおまかな流れになります。宗派がバプティストなので他の宗派に変わると協会のあり方もまた変わるでしょう。

 

ボトムアップ式の考え方

私は宗教とは体験の蓄積による伝統に支えられたものなのではないかと今考えています。

 

BibleStudyとは要は歴史の勉強です。宗教には様々な制約がありますが、なぜそれを信徒は守らなければならないのか、なぜ協会に人が集まるのか、その根拠について学ぶわけです。例としてあげると今日学んだ内容は「パウロがなぜ回心したのか、そしてその証拠は」についてです。今まで二回しかBibleStudyを行っていませんがどちらも最後はエスが復活した歴史を根拠に物事を語りだしてかなりヤバイ雰囲気を醸し出します。

 

ですがそこから出される様々な人生の歩み方、有名なもので言えば「酒は控える」、に帰結するわけですがそこまでのプロセスが非常に綺麗で古代からヨーロッパで数々の天才が研究して導き出された解釈に感動します(根拠がデタラメでいいのでどんな綺麗事も通る)。

 

結局のところそれを信じて実践している人達がいる限りそのコミュニティ内でBibleは本物であってBibleにて語られる綺麗事は現実になる。それ以外はどうでもいいわけですね。

 

協会という存在も宗教を存続させる強い理由になっていると思います。様々なところで語られているように人は社会的な動物で誰かと何かしらの関係性を持たないと崩壊する生き物ですが同じ聖書を勉強して生き方を学び日曜日に集まる。コミュニテイが形成されやすい条件が整っていて情報の伝達が発生していない昔では役割を発揮していたのではないかと思います。

 

・まとめ

宗教の矛盾について徹底的に検証してきたのが哲学者なわけで哲学書を読んでその考えにどっぷりと浸かっていた身からすると宗教を信じることは到底わからなかったのですがその内側に入ってみて初めて分かりました。敬虔な信徒になれば結婚相手も友達も全く困らないと思われるのでコミュニティ作るのが苦手で自殺したい人はそれこそ宗教ハマれば良いんじゃないかと思った(こなみ)。